震災ブログ
(27)2012年1月 友よ
02.23
2012年2月23日
携帯が鳴った。
電話の主は友の奥さん。
今日。
見つかりました。
声は泣き声で聞き取れない。


あの震災から1年になろうとしている今日。
海の中は冷たかったろうに。
見つかるまで我慢してたなあ。
やっとかくれんぼ終わったなあ。


俺は
お前の分まで
生きるよ。
まだ俺にはやり残してることがあるからなあ。
だから
上から目線でいいから
見守っててくれよ。
いつかまた殴り合いの喧嘩しよう。
それまで・・しばらく待っててくれ。


だから
今日はお前の大好きな「浦霞のしぼり酒・・生酒」
冬限定の旨い酒。
二人で朝まで飲むぞ。
二日酔いになるまで飲むぞ。

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(28)2012年3月16日の旧社屋
03.16
1年過ぎた旧社屋。
津波で鉄骨も曲がった。凄い破壊力を今更ながら感じる。現在解体工事中。

今は旧社屋から8Km離れた場所に仮移転しての業務。
何とか今年は新社屋建設、移転を計画しているが施工業者が見つからず
いつになったら建設できるのだろう。


菖蒲田海水浴場の1年後 大阪から震災支援で来られたレスキュー部隊の方々も唖然としていた。 復旧?復興?が見えてこない。


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(29)忘れ去られる被災地
04.08
瓦礫の山・・・・
4月8日、七ヶ浜町のサッカー場のサブグランドの光景です。イギリス人、カナダ人、米国人の3人に近隣市町で起きた津波被害の説明をした。
七ヶ浜町にある国際村の辺りは東京ドーム3個分の敷地がある。それを超える量の瓦礫が山積されている。数か月前よりまた一段と広い範囲で山のように積まれていた。
米国人の1人は近づいて「驚いて写真を撮っていました」。
残りの2人は「茫然として眺めていました」


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(30)震災前には自然豊かな蒲生海岸の干潟があった
05.23
震災前には自然豊かな蒲生海岸の干潟があった。その干潟の象徴的な山が標高6mの日和山であった。震災で標高6mの山は跡形もなくなったが、記念に日和山があった場所に看板が立っている。
その傍らでは野鳥が戻ってきているかを調査する外人や、建設局の方々が忙しく測量をしている。
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近くには中野小学校がある。震災直後、屋上に逃げて助かった人を夜間、高圧線に囲まれた場所へ救出に向かったヘリコプター救助隊の話も有名な話となっている。
   
あたりを見渡すと1年2か月過ぎたにしては余り変わっていない風景・・・
残念の一言である。

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(31)震災前 震災後の空撮
06.19
宮城県の南にある亘理町から少し南に行くと福島との県境がある。
相馬市、新地町である。
ラジコンヘリで撮影された 下 枝  長 年 さんのHPをご覧ください。
震災前と震災後の写真があります。美しい故郷があったんです。
http://shi.na.coocan.jp/watari.arahama.230424.html