震災ブログ
(24)2012年1月 初日の出
01.10
当社の職員が初日の出を撮影した。
新年を仮設住宅で迎える人。行方不明者を持つ家族だと思う人が新年早々から捜索に出かける。子を失った人。妻を、主人を。家族全てを失った子供たち。 今年が善い年であることを願わずにはいられない。
多くの方の支援や励ましの言葉は被災者に「がんばろう」という気持ちにさせてくれた。一方では失ったものが大きすぎて心の傷を癒せずにいる人も多い。
時が解決する・・と慰めの言葉として使われる場合がある。しかし、心の傷は癒せないと家族を失った被災者の多くの方が話す。 震災(被災者)が忘れ去られるのではないかと不安になる人も多い。
私は風化させない努力をブログを通じて今年もがんばりたい。
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(25)1月14日は
01.16
1月14日は「どんと祭」
神社の境内などで正月飾りを焼き、御神火にあたることで一年の無病息災・家内安全を祈願する祭だ。
ここは津波で八幡神社だけがほとんど無傷で残り、神社を取り囲む何十本もの杉の大木がなぎ倒され、民家の多くは全壊した・・多賀城で最も被害の大きいところだ。
どんと祭を八幡神社でもやる!というので行ってみた。神社が奇跡的に残っていた。
樹齢数百年以上の古木も海水で浸かったためか枯れ始めていた。
八幡神社の四方八方・・今も重機で全壊した家屋の撤去が行われている。
家屋がまばらに見えるが全て撤去予定だそうだ。遠くに仙台港の近くの工場が見える。
急ピッチで再建し、復旧営業しているところも出てきた。
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(26)あの震災から11か月が過ぎて
02.15
あの震災から11か月が過ぎた。 全壊した我が家は只今・・2月13日から取り壊し撤去の真っ最中。多賀城市は全半壊した建物を3月11日までには全て撤去したいとのこと。。現実は早くても5月と多くの解体業者は言う。 理由はある。仮設住宅に入りきらない家財を残したままなのだそうだ。解体撤去すると家財をどこに保管すればいいのか・・・・解体撤去が遅れる理由の一つでもある。 我が家を解体撤去している業者は阿部重機さん。同じ地区に会社があってダンプカー10台 重機も津波で失ったそうで、11月にレンタルや購入で仕事を始めたとのこと。。 大変な思いを抱えている人達の思いを・・同じ苦労を味わった自分たちががんばることで少しでも身近な悩みを聞いてあげられる・・・阿部重機の専務さん以下みなさんは口を揃えて言う。 お孫さんを助けようと階段を上ろうとした時、津波で流された車が家の壁を破り・・・おじいさんを直撃。。赤ちゃんはそのまま水中に・・・ 解体中に遺品を見つけたこともあったそうだ。家族の絆を探しながらの解体なんです。そしてここから新しく生まれるんです。そう信じて私たちはがんばろうと11月に立ち上げたんです。・・・私も思わず ・・こみあげるものがあった。
我が家のそばにある多賀城ソニー・・。。多賀城市民が応援していたソニー仙台サッカーチームのグランドも瓦礫の山。。管理棟は解体撤去を終え、寂しい。。殺風景だ。
研究センターの一部は被災した企業の復旧・復興のために貸出しされている。

その対面する場所に雇用・能力開発機構宮城センターがある。5月中ごろまで今の3倍の高さまで積み上げられた車があった。恐らく5000台以上はあったと思う。 それらが撤去されてきれいになったと思ったら。。今年の1月から新たに積み上げられ、とうとう写真のような状態にまでになった。。