震災ブログ
2013年5月11日の多賀城市の砂押川
05.11
2011年3月11日に護岸工事をしている場所は「道路が直径5mほどの大きな陥没があった」地震で陥没したらしい。そこに津波が押し寄せ堤防を破壊した。2年過ぎてやっと護岸工事が本格化した。 多賀城市の復興はそれでもかなり早い。復興住宅の建設も始まった。


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2013年6月10日の仙台新港
06.10
場所は仙台新港脇にある30mほどの小高い丘で、サーファーの人達の駐車場である。そこから横目に仙台新港を眺めた。 海にはサーファーの人達がいた。遊んでいるのかと思ったら瓦礫の撤去のボランティア活動中だった。まだまだ海にはいろいろな物があると話をしてくれた。
下に降りてみた。そこには護岸用のゴロタ石が山のようにしてあった。 波の浸食を防ぐためだそうだ。満潮になるとこの場所まで波が押し寄せるとのこと。浜辺はない状態。 光太郎が遊んだ浜辺は今はほんの少し残されただけである。
写真でわかるだろうか中央の木の先端部分まで津波がきたとのこと。山肌が崖のようになっている。右側の斜面は護岸したとのこと。
海には津波で運ばれて浜辺に打ち上げられたテトラポットがたくさんあった。 このテトラポットは沖堤防にあったものらしい。津波の威力の凄まじさを感じる。
この写真に見える杭がわかりますか?震災前はこの杭までが浜辺であったんです。黒鯛釣りの撒き餌に使う「イサダ採り」をしている時のポイントだった場所である。


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2013年 8月3日 多賀城祭り
08.03
多賀城自衛隊駐屯地に於いて震災後3年ぶりに多賀城祭りが開催された。
多賀城市と七ヶ浜町の合同の祭り。
多賀城市民と七ヶ浜町民の祭りにたくさんの人が集まり一時を楽しんだ。
復興にかける思いがたくさんの人を集めたんだろうと思う。桜木地区には200世帯の災害復興ビルの建設が始まる。
鶴ヶ谷地区に300世帯の災害復興ビル建設の土地確保交渉も始まっている。
仮設住宅の方々にとって一日も早い建設を期待する声が高い。全て完成するには後2・3年はかかるだろう。

夜は「花火大会」。
両角君・内田さんを自宅に誘って自宅のベランダから花火を楽しんだ。
残念ながら眞田君は呼べなかった。
なぜなら彼のご両親が仙台に来られたのである。
一人息子を心配する親御さんの気持ちは痛いほどわかる。
私のところにも挨拶に来られ、震災の時の話に弾んだ。
その日は花火をみるより家族団欒を優先させた。
多賀城祭りの花火


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